お久しぶりにブログを更新す。
ゴッホ展に行ってきたからだ。
文章のほとんどがマスターベーションであることを了承していただきたい。
しかし、本日1番のお目当てはルドンのキュクロプスであった。
結論から言うと、私は失恋した。
失恋したのだ。
私はキュクロプスと何分見つめ合っただろう、かなり私は彼を見つめていた。厳密に言うと、正直に言うと、見つめ合ってなどはいない。
何故なら彼は1ミリメートルもこちらを見やしないのだ!!あゝ嘆かわし。
彼の目ははっきりとガラテアに向けられていたのだ。
iPhoneの光る画面から彼を覗いていた時は微塵もそのような実感などなかった。
きっと日本国民男児が、ガッキーと星野源がラブラブしているところを目撃した時、きっとこのような気持ちになるのだろう。
私は甘んじるしかなかった。
話は少し変わる。
諸君、外国人カップルがキュクロプスに歩み寄り、何と言ったか想像してみて欲しい。
なんと彼らはキュクロプスを creepy と言ったのだ!!
「嗚呼、何ということだ」と思ったさ。
キュクロプスはガラテアを愛しているというのに。私に言わせればキュクロプスの健気でかわいい瞳を持った巨人を creepy だと??
まあそうだよな。これは平民に芸術を開いてしまったことによる堕落だ。そうに違いない。
私は哀しかった。
それは置いておき、私のこの一連の騒動はゴッホ展にとっては失礼極まりない。本日、ゴッホなんて私にとっては it doesn’t matter だったのだ。たった一枚のルドンのキュクロプスを観に行ったようなものなのだ。当日券を得るために朝をオールでしか向かい打てない私はしっかりと寝て早起きをしたのだ。
とは言っても、きちんと見るものは観てきた。
キュクロプスが載っているという下心により買った図録を用い、上野駅のスターバックスで時間になるまで予習をした。私はついこの前まで自らの誓いによりスターバックス処女を守り抜いたオンナだ。(訳あって、やむを得ず守り抜けなかったが。)
ましてや独りでスターバックスに入るなど初めてであったのだ。快挙と言えるだろう。
無駄話はその辺にしてゴッホにおける感想を記していこう。
まず、去年私はロンドンナショナルギャラリー展でひまわりと対峙した。その時のお目当てはモネの絵画であったが、正直言ってひまわりを観た瞬間圧倒された。
ひまわりという絵は、あいつは、なんと光合成していやがるのだ。陽イオンをたいそう散りばめていた。それが持つエネルギーは凄まじかった。
初対面がこのようであったため、ゴッホはなんてイカれ野郎なのだと思っていた。
しかし、本日の展示ではどうであったか。
彼の変遷を目撃出来たという点で、ロンドンナショナルギャラリー展の時のようなある意味"良いとこ取り"のような魅せ方ではなく、きちんと彼の暗い部分も見えたように思う。
ゴッホ展の目玉、夜のプロヴァンスの田舎道においては、なんとなく梶井基次郎を想起させた。
そもそもゴッホの性質や世界の捉え方になんとなく梶井基次郎に似たものを個人的には感じた。
おそらく檸檬の色のせいでもある
しかしながら夜のプロヴァンスの田舎道でふと私の頭に梶井基次郎が浮かんだのだから仕方がないだろ!!
ゴッホにおいては存命の間は売れない画家であった。私はそのことについて激しく悔しさや怒りといった感情をしばしば湧き上がらせる。
死んだ後に有名になるなんてなんて不名誉なんだと私は思う。
愚民どもに見る目がなかったばかりに、時代や世界が追いつけなかったばかりに!!
冥福を祈っている。
話は変わるのだが、美術館を回っている間、椅子で図録にメモを書いている最中、お隣に小さなお嬢さんがいらっしゃった。彼女とは展示を回っている間、彼女はママに見えないところで手を振る仲になった。少し背徳感があった。しかしこの世で1番カワイイ時間であったと思う。彼女は楽しそうに絵を見ていたわけではなかったが、きっと母上が教養ある人物なのであろう。将来彼女も芸術を嗜んでくれたらとても嬉しいと感じた。
もう本日は早起きをして疲れてしまったのでこの辺にしておく。再見。

ゴッホ展に行ってきたからだ。
文章のほとんどがマスターベーションであることを了承していただきたい。
しかし、本日1番のお目当てはルドンのキュクロプスであった。
結論から言うと、私は失恋した。
失恋したのだ。
私はキュクロプスと何分見つめ合っただろう、かなり私は彼を見つめていた。厳密に言うと、正直に言うと、見つめ合ってなどはいない。
何故なら彼は1ミリメートルもこちらを見やしないのだ!!あゝ嘆かわし。
彼の目ははっきりとガラテアに向けられていたのだ。
iPhoneの光る画面から彼を覗いていた時は微塵もそのような実感などなかった。
きっと日本国民男児が、ガッキーと星野源がラブラブしているところを目撃した時、きっとこのような気持ちになるのだろう。
私は甘んじるしかなかった。
話は少し変わる。
諸君、外国人カップルがキュクロプスに歩み寄り、何と言ったか想像してみて欲しい。
なんと彼らはキュクロプスを creepy と言ったのだ!!
「嗚呼、何ということだ」と思ったさ。
キュクロプスはガラテアを愛しているというのに。私に言わせればキュクロプスの健気でかわいい瞳を持った巨人を creepy だと??
まあそうだよな。これは平民に芸術を開いてしまったことによる堕落だ。そうに違いない。
私は哀しかった。
それは置いておき、私のこの一連の騒動はゴッホ展にとっては失礼極まりない。本日、ゴッホなんて私にとっては it doesn’t matter だったのだ。たった一枚のルドンのキュクロプスを観に行ったようなものなのだ。当日券を得るために朝をオールでしか向かい打てない私はしっかりと寝て早起きをしたのだ。
とは言っても、きちんと見るものは観てきた。
キュクロプスが載っているという下心により買った図録を用い、上野駅のスターバックスで時間になるまで予習をした。私はついこの前まで自らの誓いによりスターバックス処女を守り抜いたオンナだ。(訳あって、やむを得ず守り抜けなかったが。)
ましてや独りでスターバックスに入るなど初めてであったのだ。快挙と言えるだろう。
無駄話はその辺にしてゴッホにおける感想を記していこう。
まず、去年私はロンドンナショナルギャラリー展でひまわりと対峙した。その時のお目当てはモネの絵画であったが、正直言ってひまわりを観た瞬間圧倒された。
ひまわりという絵は、あいつは、なんと光合成していやがるのだ。陽イオンをたいそう散りばめていた。それが持つエネルギーは凄まじかった。
初対面がこのようであったため、ゴッホはなんてイカれ野郎なのだと思っていた。
しかし、本日の展示ではどうであったか。
彼の変遷を目撃出来たという点で、ロンドンナショナルギャラリー展の時のようなある意味"良いとこ取り"のような魅せ方ではなく、きちんと彼の暗い部分も見えたように思う。
ゴッホ展の目玉、夜のプロヴァンスの田舎道においては、なんとなく梶井基次郎を想起させた。
そもそもゴッホの性質や世界の捉え方になんとなく梶井基次郎に似たものを個人的には感じた。
おそらく檸檬の色のせいでもある
しかしながら夜のプロヴァンスの田舎道でふと私の頭に梶井基次郎が浮かんだのだから仕方がないだろ!!
ゴッホにおいては存命の間は売れない画家であった。私はそのことについて激しく悔しさや怒りといった感情をしばしば湧き上がらせる。
死んだ後に有名になるなんてなんて不名誉なんだと私は思う。
愚民どもに見る目がなかったばかりに、時代や世界が追いつけなかったばかりに!!
冥福を祈っている。
話は変わるのだが、美術館を回っている間、椅子で図録にメモを書いている最中、お隣に小さなお嬢さんがいらっしゃった。彼女とは展示を回っている間、彼女はママに見えないところで手を振る仲になった。少し背徳感があった。しかしこの世で1番カワイイ時間であったと思う。彼女は楽しそうに絵を見ていたわけではなかったが、きっと母上が教養ある人物なのであろう。将来彼女も芸術を嗜んでくれたらとても嬉しいと感じた。
もう本日は早起きをして疲れてしまったのでこの辺にしておく。再見。
