ミッドサマーみた。
序盤から主人公のダニーが危うい環境に置かれているし、さらには彼氏も大した器の男ではなくて、さらには彼氏の友達からも冷遇されていて常にストレスを抱えながら観なければならなかった。そして終始ゆるやかな動悸を抱えながら観れた作品だったので面白かった。同時に蛇がゆっくりと自身の身体を這ってくるような感覚もあった。
タペストリーに今後起きるであろう展開が提示されており、特に村に来てから割と序盤に見せられたラブストーリーのタペストリー(好きな相手の食事に異物を混入させる)は、最初に衝撃的だと感じるシーンだったし、その鮮烈な記憶を保持しながら、「おそらく該当シーンがこの後起きてしまうのだろうな…」「起きないで欲しいけど…」というドギマギを常駐させていた。そして結局該当シーンが来て、レンゲはアーってなっていました。
結末に関して、ダニーは最後にクリスチャンを生贄に選んだが、浮気というのは人間が抱いて良い感情ではないと思うほど、胸糞が悪いし、そのあとはしばらく生きていくことにまあまあな支障をかかえるので、そんな心境の元治外法権ホルガに自分がいるのであれば、確かに不義理を働いた恋人を生贄にするのは頷ける。自分があの立場だったら、明確な意思を持ってクリスチャンを生贄に選ぶというよりは、無作為に選ばれた全く無関係の人間を生贄に選ぶより、どう考えても恨みを買った恋人を生贄にする方が合理的である、と判断すると思う。恋人が燃えてるのを見てダニーが笑みを浮かべていたのは人間すぎて思わず笑ってしまった。というかそもそもクリスチャンに至っては、薬を盛られたのだとしてもあんな気持ち悪い状況で人に見られながらセックスなんかできないだろ。大奥の方が100倍マシ。
そしておそらくダニーは帰るところもないため、ホルガに残るのであろうが、いつ生贄にされるのかわからない状態であり、または生き延びたとしても72歳で必ず死を選択しなければならず、結局は自分の死の形を選ぶことができないのはグロテスクだと思った。というかそもそも、メイクイーンになった者は生かされるのか?歴代のメイクイーンの写真が飾られているにもかかわらず、「彼女が去年のメイクイーンです」のような紹介シーンがなかったため、メイクイーンもどこかのタイミングで葬り去られそうである。とんでもない村だ。
しかしながら、これは異文化という言葉で片付けられる現象であり、現代社会において大多数が兼ね備えている倫理観を前提としたらやばいのであって、ホルガで育った人からしたら普遍的なことなのだと思う。北センチネル島みたいなものだ。なので余計に外部から人を連れてきたペレとイングマールはやばすぎると思う。彼らはアメリカやイギリスで現代社会に触れたはずで、さらには故郷に連れて来これるレベルの友人を作れるほど私たちの世界に溶け込めていたのに、なぜホルガから脱したいと思わないのか疑問である。
そして多分フツーであれば、こういったカルトが主題になっている場合、現代社会と隣り合わせの風景の中において、盲目的な信徒たちの異常性が発揮され、そこに対する嫌悪感や気持ち悪さを感じるはずである。日常に溶け込む異常性にこそ人は嫌悪感を抱くと思う。だがこの映画は白夜の最中でかつ、のどかな風景であるホルガという独立した世界で完結しているため、現代社会と隔離された場所という前提で別世界のように見ることができる。私たち観客が「私たちの感覚が絶対に正しい」という思い込みを当てはめずに視聴することができたように思う。そのため、村人の各々の異常行動というより、もはやホルガという世界の異常性を認知することになり、村人各々に対して嫌悪感を抱くのではなく、ホルガという共同体にのみ嫌悪感が向くようにできてる気がする。それに、アリアスターはどうやら脚本執筆時に恋人との破局の真っ只中だったらしく、これを破局の物語として作ったようなので、主軸はあくまで破局でありカルトがサブ要素として構成されているからこそ、ただの気持ち悪いだけの映画ではないと感じるのかもしれない。