ゆらぎ
才能と生産者と消費者について。
ゆらぎは2年前の夏にソムニウム(花酔いの前身バンド)のために大学の防音室に籠って作った曲だった。
才能ってなんなんだろう、天才ってなんなんだろうって暑さで朦朧としてる脳みそで搾り出した曲だった。この曲の主題は、才能と消費者であるように思う。まず消費者側についての意見がちょうどタイムリーなので以下に述べる。
まず消費者を主題とした歌詞の方についてつらつらと話したい。私はキタニタツヤが好きで、昨日彼がツイートしたことが賛否を呼んでいる。私は彼の意見にとても同意できるけど、多分彼の言っていることは作品を作ったことがある人でないと真の意味では理解できないと思う。あのツイートを私なりに噛み砕くと、私はいつもの如く豪速球で自分の作品を貴方たちに投げかけているし、今花酔いやレンゲのことを支持してくれている方々は少なくとも死ぬ気でそれをキャッチしてくれたのだと思ってる。でもそうではなくて、そもそも私が豪速球で投げた作品をキャッチもせず、ただの観客として、ヤジとしてお前らが生産者に投げかけた言葉に、無意識でも有意識でも悪意を投げかけてしまったかもしれないと考えたことはあるのか?ということだ。私もキタニも共通して言えることはおそらく、作り手も受けてもフェアであったらとても理想的であるということなんだと思う。でも、本ツイートの返信においてキタニも自分で認めているように、消費者全員と結局フェアであることなんて夢のまた夢なので、あえてネガティブな表現を避けるとするならば、何も考えずに作品を受け取る消費者よりも、やっぱり死ぬ気で己らの作品を受け止めてくれた消費者の方が好きに決まっているという話だと思う。
少し話は脱線したが、私たちのような人間が作品を作って世に放つことに対して、付くコメントは前向きな意見だけではないのは周知の事実である。不躾な人間がどこかでテキトーに身につけてきた相対的な評価によって心無い言葉を差し向けてくることだってある。ゆらぎでいう「相対性審美観念に囚われたお前ら」のことである。完全に余談ではあるが、昨今の過激化したルッキズムにもこの言葉は当てはまると思う。そしてキタニも言っているが、これが結構生産者側したらメンタルをやられることも多い。なので、正直に言うと私はもはや彼らを切り捨てるしか自分を守る術はないのである。申し訳ないが私もそこまで掬い上げてはやれない。私はコンテンツだと思うし偶像だから、みんながレンゲをどう解釈してくれてもいいし、どう消費してくれてもまあ構わない(時には文句を言うこともあると思うがそれは看過してほしい。)が、別に私も人形ではなく人間である。とにかく、こんなことを長々しく書いたって結局わからない人にはわからないのはわかってるし、それはキタニもわかってると思う。それでも以前よりも発言力を増したキタニが敢えてこのような発信をしたことは私にとっては興味深い出来事だった。とりあえず消費者という主題においては以上である。
次に、才能について。結局のところ真の才能とはなんなのか、真の天才とはなんなのか、私にはいまだに全然わからない。そんな言葉に悩まされている人間も、才能という言葉にときたま振り回される私も安心したい。そんな思いから出てきたのが「誰も天才になんてなれなくて」という歌詞だと思う。辞書的な意味での天才や才能のある人というのはきっとみんな理解できる。でも、私たちが天才や才能があると形容した彼らにとって、それらの言葉は時に残酷だと思う。時には彼らの選び取ってきた軌跡や努力を無視した表現になると思う。彼らが必死で選び取ってきた人生を、他者が才能や天才という言葉で一括りにしてはいけないと思う。でも、ある日私のソウルメイトは才能について「心や魂で人に全力でぶつかりにいけることだと思う」って言っていた。私と彼女はフジ子・ヘミングが好きだが、まさに私と彼女の共通認識として、「心や魂で人に全力にぶつかりにいける」というのは彼女のことである。フジ子・ヘミングの音には確実に魂が宿っていると思う。フジ子・ヘミングの生前、私は母親に連れられて彼女のコンサートを観に行ったことがあったが、ガキながらに私は存在しているだけでこんなに美しい人がいるのかと思って涙が溢れてきたことを覚えてる。だから、私も今のところは才能というものを、人の魂に訴えかける何かを持っている人のことだと一旦定義してみることにした。私の才能についても、全然なんなのかわからない。でも今の所は理由もないし呆然とだけど自分の才能の行き先が見たいと思う。根拠がなくても自分の才能を信じられないようではアカン、と呆然と思っている。でもそんなのは運良くいまだにそう思えているだけなのかもしれない。10代の時から散々私は27歳で死ぬと思っていたし、それまでに全てを終わらせでやると思った。でもきっと27をすぎても音楽をやっているのかもしれないと、最近は思ってしまう。もはやこれも全然甘えかもしれないけど、どうしてもまだ私は自分の才能を諦められない。
全然今までとは違って、歌詞に直接的な解説を入れることのないライナーノーツだけど、本質的には変わらない気がしたので、記してみました。読み手からしたら、傲慢に感じた部分もあるかもしれない。でも再三言いますが、いつも死ぬ気でデッドボールすることも厭わずに作品をキャッチしてくれる皆さんには感謝しております。おやすみなさい。