シューゲ(仮)サウンズについて色々と個人の解釈を述べてみたのはいいものの、最近その辺について己の見解を述べがちだなぁと思っていて、この前ポストした


メジャーに対してインディーズやアングラ、サブカルがあり、後者の界隈に住まう者に独特な負の印象が少なからずあるのは否めないとしても、「ではメジャーの音楽は僕たちを救ってくれたのか?」の問いに対してはNOなので、メジャー音楽のみを聴いて生きてきた人にはわからないものがあるとは思う。

という呟きについてさらに述べておきたいことがある。これは私も、そしてこれらに共鳴してくれた皆さま(とりわけ同年代が)も耳が痛い可能性があるのですが、結局はインディーズ・アングラ・サブカルの本質が好きなのではなくて、結局はその中の世界でしか自分の存在意義やアイデンティティを見出すことができなかったの方が近いのではなかろうか。
この文章の主語は思春期にこの世界を通ってきた人が該当しそうである。結局はそういったメジャーではない文化に帰依した自分に安心できるのではないだろうか。もちろん、両方の世界をいいと思っている人もいるだろう。それでも昨今はメジャーとインディーズの間の人口はグラデーションではなく、リスナーの分布はどうしても偏ったように思える。だから、やっぱり私たちのような陰湿な人間は、私たちのような世界を知らずに生きてきたこと、メジャー音楽だけを聴いてきたことを、ただの偏見にも関わらずなんか幸せそうだと思えてしまうのである。そこに自身を投影した結果、サブカルに染まらなかった人間は自分とは違って決して歪みのない人間であるにちがいないと思い込んでしまうのである。その結果、嫌悪感や見下しが発生するだろうし、こっちの世界を知っていることの悦に浸ってはいないだろうか。特にネットで冷笑してる人たちはそんな気がする。(正直花酔いのリスナーやこの文章を読んでる人にはこの事象に該当しそうな人はいない気はするが)

結局はなんか今の時代は色んなことが形骸化せざるを得ない時代なのかもしれないと思ってしまう。シューゲイザーの純粋な定義も、おそらくもう日本には存在しないし、サブカルチャーももはやそういった己の行き場を求める若者に食われてしまっているのかもしれない。正直音楽業界の将来は明るいのかといつも疑問に思っているが、だからと言ってそれを理由に音楽を諦めたり、表現を諦めたり、人々へ音楽を豪速球で投球し続けることも諦められないわけである。この文章は昼風呂をしながら冷め切った湯船の中で書きました。良い1日を。