文字を綴りたく、よくいるシンガーソングライターの分際でブログとやらを始めてみた。

さて、冬から春への移り変わりは殺風景に甘い色が加わってくるわけであるが、どうやら今年の僕はそれが気に食わないようである。

しかし(余談)、元より夏に咲く百日紅は好きではない。青々しい夏に、ピンクで佇まふ、空気が読めない花として私は認知している。だが、嵐の後に散り、道路で踏み潰されている百日紅は好きだ。あれはどう考えても美しいだろう。

話を戻すと、年々春という季節が自分の中で汚染されている気がしてくる。
ついこの間、友人からピンクと灰色は汚染された色である。と聞いたからかもしれない。

そういえば、文豪の梶井基次郎は
-桜の樹の下には屍体が埋まっている!-
と断言している。そうでなければあんなに美しいはずがないと宣ったわけで。
リスナーから聞いた話だが、昔は馬が死んだら埋める時に一緒に木を植えたらしい。馬が大きな財産であったからとかなんとか。
となるとやはり桜が美しいのは生物の血を啜ったからなのではないかと考えたくなるものだ。

僕は遠くから咲く前の桜の軍団を眺めるのが好きだ。
桜の枝の重なりの茶色と、靄がかった蕾のピンクの調和が好きだ。
当方、高校を先日卒業したわけであるが、通学路の川沿いの桃色の靄とも滅多に会えなくなると思うと残念でならない。


この備忘録の題に沿って結末を記したいのだが、ここまでくるのにあたり、私の書く文章は収集がつかなくなる事を再確認した。言霊は操りきれない。

今はレンゲの在り方について迷走しておる。

またな。

画像は先日サンリオピューロランドに行った時のものだ。汚染されたピンク。

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